2009年8月18日火曜日

基本的人権と副作用

今日配信されてきたメルマガに「生物製剤による癌の危険性」の話が流れて来た。

先日、若年者・小児リウマチでの生物製剤投与により癌リスクは上昇する。という新聞記事を受けてのものだった。一方、成人に於ける同様の研究成果としては「有意な差はない」というものがあるそうだ。

メルマガにも書いてあったが、統計学をかじったことのある人なら分かるだろうが、この「有意差」というのはどうにでもなるものだ。と僕も思う。

メルマガの結論としては、生物製剤投与による発癌リスクの上昇は「ないとは言えない」というもの。生物製剤を投与している我が身としてはこれを否定して欲しいが「ないとは言えない」というのが穏当な本音だろう。リスク管理の面からは「あり得ます」くらいの語調でも良いくらいだ。

今回のメルマガで僕がもっとも感動したのは、「痛みのない生活を送ることは、基本的人権だと考える」というフレーズだ。

僕は今年の3月の中旬以降、痛みのない生活を送ったことがない。
這いずるように階段を上ったこともある。浴槽から出られず「茹でおやじ」になりそうになったこともある。歩くのが遅く一回の信号で向こう側まで渡れず中央分離帯に佇んだこともある。
痛みは単に「痛いだけ」じゃなく、生命の危険をも含んでいると思う。

僕は痛みを和らげる目的(あるいはリウマチの治療)で、生物製剤を始めいろいろな薬を投与している。僕は、完全に痛みを感じないほど薬を使うということはない(そういう人がいるのかどうかも知らないけど)。薬を服用しても「痛いけど我慢できる」範囲の薬の量だ。

僕は前から痛み止めについて、疑問を持っている。どこまで痛み止めに期待しても良いものやらということだ。
今、僕は処方された薬(種類、量)で例え痛みが出ても我慢している(もちろん我慢できる範囲で)。
しかし、この我慢が良いことなのだろうか。と疑問に思うことがある。ひょっとしたら、もっとわがままに「もっと痛くなくしてくれ」と、「脚をひきずらなくても歩けるようにしてくれ」とドクターに頼めるのではないかと思ったことがある。

一方で、薬の副作用による「癌のリスク」がある。僕は「癌のリスク」と「目前の痛み」を天秤にかけながら、どちらのリスクも覚悟し、どちらの我慢も受忍している。
正直に書けば、僕は痛みから逃れたい一心で生物製剤の使用を躊躇しなかった。副作用のリスクがどれほどなのか評価もせず、痛みから逃れたかった。

最近の研究ではRA患者は寿命を削っているというのがあった記憶がある。どんくらい短くなるのか...

先の命を削って、今を生きている。そんな感じは確かにする。

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