2009年8月23日日曜日

ただただ申し訳ない

昨日、札幌から親父とおふくろが僕の見舞いに来た。
本当は、こちらから両親が思っているよりも「元気な姿」を見せにいかねばならないところだが、こちらから札幌に出向くにはそれなりに時間がかかることもあり無理せずにいた。

僕は、駅から出てくる両親を出迎えに行ったが、両親へ僕からのささやかなサプライズ・プレゼンとつもりだ。まさか僕が出迎えに来るとは思わなかったらしく少し驚くやらの両親。

親父は80になろうかという年齢だ。かつては行政マンとして無茶を仕事をバリバリやっていたが、歳には勝ちようもなく、最近は足腰が弱って見える。
おふくろは70で、親父よりは若いけど親父同様、どこかガタが来ているに違いない。
まずは、そんな両親にねぎらいの言葉と来訪への感謝の気持ちを伝える。

自宅への車中、リウマチにかかったという報告の電話あと、症状について電話で話を聞いても僕が「どんな状態なのか」見て確認することが出来ず、また、僕のアクテムラ点滴の予定日等の関係もあって、直ぐに来訪できない事がどれほどつらく、せつなく、歯がゆく思っていたのか、相当気をやんだとのこと。
おふくろに自宅までの車中で泣かれてしまったのにはかなりまいった。

両親には、とりあえず外観上でも「痛いけど、まぁまぁ歩けるし、そこそこ普通に生活ができている」ところを見せるしかない。
僕は、50にもなって、高齢となった両親にたいした親孝行もせず、ただひたすらに心配だけをかけている親不孝を心のなかで手を合わせて詫びる。
誰のせいでもないのだけれど、やはり両親には申し訳ないと思う。

おふくろは、自分の息子の品定めをするかのように「動作をチェック」。僕の一挙手一投足を注視(凝視)している。
おふくろの動作チェックの結果は聞いていないけど、リウマチについての説明、現在行っている治療の説明、僕のフィジカル面・メンタル面の説明をした後、少なからず表情に安堵の様子が窺えたので、僕も少し安心したところだ。
親父は、僕の顔色や動作を見て多くは語らずだったが、駅で合わせた顔よりは表情に安堵が見えたと思っている。

さきほど、両親が札幌へ帰るというので駅まで見送りに行って来た。
別れ際、両親から「元気で過ごしなさい」と言われる。
「気持ちだけは元気だから心配しないで。歳だし、身体がきついかもしれないけど、来たかったらまた来てね」と両親に返事をしておく。

「元気で過ごしなさい。」
どんな時でも、自分を責めることなく、他人もせめず、前向きな気持ちで堂々とハツラツと過ごせ。という我が家的な意味。

僕は、単に「頑張れ」などと言わなかった両親を誇りに思う。
誇りに思えば思うほど、ただただ申し訳ないと思う。

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